2015年05月17日
西赤石山(愛媛県1625米)
5月14日から16日まで四国の愛媛県、新居浜の別子銅山近くの西明石山に出かけました。
25名の大所帯でした。15日登山の日が雨の予報だったので心配しながらの旅立ちでした。
高速で大分川内で降り、佐賀関からフェリーに揺られること1時間!三崎港から高速で新居
浜まで県道47号線を走り夕方16時近くに自然の家に着きました。この自然の家は昭和の初
めに銅山で働いていた方たちの子供が通っていた小学校、中学校の跡地に建てられたものだ
そうです。昭和43年に閉山するまで多い時でなんと5000人近くの方がこの東平(とうなる)に
おられたとか…東洋のマチュピチュと呼ばれるそうですが、多くの当時の産業遺産が残ってい
ました。この小、中学校の下にいくつかの社宅や娯楽場策動基地、郵便局などがあったそうで
す。とても興味深いところでした。
心配していた天気も明日は降らないということで安心して休みました。次の日は上天気でし
た。自然の家を7時半に出発し、鉄板の橋をいくつも渡り、沢を渡って5時間近くかかって山
頂の見える兜岩までたどり着きました。期待していたアケボノツツジは既に散っていて何本
か残っていました。残念!昼食を済ませて14時過ぎにやっと山頂に到着。山頂は今を盛り
とミツバツツジが咲き誇っていました。九州のミツバツツジよりも色目が濃く赤紫色でした。
下りはずっとミツバツツジのトンネルでした。満開のころはさぞかし美しかったろうと想像しま
した。4時間ちかく歩いて自然の家にたどり着いた時、ほっと胸をなでおろしました。自然の
家に張ってあった写真は山一面のピンク色のアケボノツツジでした。傾山や祖母山の比で
はありません。昭和の時代に働いていた方や子供たちの写真も一緒に飾ってありました。
会に入ったおかげでこんな山懐まで連れて行っていただき、大好きな山に登れて幸せです。

ミツバツツジ

兜岩

策動停車場跡(鉱石、生活用品などの主要輸送機関)
25名の大所帯でした。15日登山の日が雨の予報だったので心配しながらの旅立ちでした。
高速で大分川内で降り、佐賀関からフェリーに揺られること1時間!三崎港から高速で新居
浜まで県道47号線を走り夕方16時近くに自然の家に着きました。この自然の家は昭和の初
めに銅山で働いていた方たちの子供が通っていた小学校、中学校の跡地に建てられたものだ
そうです。昭和43年に閉山するまで多い時でなんと5000人近くの方がこの東平(とうなる)に
おられたとか…東洋のマチュピチュと呼ばれるそうですが、多くの当時の産業遺産が残ってい
ました。この小、中学校の下にいくつかの社宅や娯楽場策動基地、郵便局などがあったそうで
す。とても興味深いところでした。
心配していた天気も明日は降らないということで安心して休みました。次の日は上天気でし
た。自然の家を7時半に出発し、鉄板の橋をいくつも渡り、沢を渡って5時間近くかかって山
頂の見える兜岩までたどり着きました。期待していたアケボノツツジは既に散っていて何本
か残っていました。残念!昼食を済ませて14時過ぎにやっと山頂に到着。山頂は今を盛り
とミツバツツジが咲き誇っていました。九州のミツバツツジよりも色目が濃く赤紫色でした。
下りはずっとミツバツツジのトンネルでした。満開のころはさぞかし美しかったろうと想像しま
した。4時間ちかく歩いて自然の家にたどり着いた時、ほっと胸をなでおろしました。自然の
家に張ってあった写真は山一面のピンク色のアケボノツツジでした。傾山や祖母山の比で
はありません。昭和の時代に働いていた方や子供たちの写真も一緒に飾ってありました。
会に入ったおかげでこんな山懐まで連れて行っていただき、大好きな山に登れて幸せです。

ミツバツツジ

兜岩

策動停車場跡(鉱石、生活用品などの主要輸送機関)
Posted by ともちゃん at 21:50│Comments(0)
│登山