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2016年12月05日

田原坂ウオーキング

12月3日、西南戦争の跡地のある熊本の田原坂ウオーキングに参加しました。JR久留米か
らJR木葉駅まで1時間余り。まず駅近くの高月官軍墓地で準備体操。大小の墓が整然と並
んでいました。軍隊の位、出身県まで刻まれていました。次に向かったのは正念寺。激戦地
だった所です。お和尚さんから詳しい激戦の様子や博愛社の話を聞きました。寺の正面にあ
る門の板壁は36個の銃砲の跡がくっきり残っており、当時の戦いの凄まじさを物語っていま
した。ここは負傷した兵士を治療した政府軍の病院跡にもなっており、佐賀の佐野常民が創
設した博愛社(日本赤十字社の前身)の石碑もたっていました。
 豊岡眼鏡橋を見て一番の激戦地だった一の坂、二の坂に登りました。今はミカン畑や人家
もありますが、当時は周り一面桑畑だったとか…途中25歳で戦死した谷村計介の墓があり
ました。政府軍が使った小銃の弾薬が一日平均32万発というからそれだけで戦がいかに激
しかったかがわかります。戦争は明治10年3月3日から20日まで17日間。敗退し鹿児島に
戻った西郷さんが9月に自決して終結するわけですが、物資、情報、服装、食事などすべて優
位だった政府軍が勝つのは当たり前のことです。薩摩軍3万人、政府軍6万、そして1万4千人
もの若い命が落とされました。戦争せずに何か他の方法で解決する道はなかったのでしょうか。
 西郷さんも兄弟で敵味方で争う…そんな人もたくさんいたことでしょう。政府軍、薩摩軍 両方
に全国から駆け付けています。戦争資料館に立っていた立派な慰霊碑は亡くなった犠牲者の
名前が刻まれていました。最後に薩摩軍の墓地でお参りを済ませ、田原坂駅に向かいました。
 資料館でのボランティアガイドの方の説明が詳しく、とても勉強になりました。今日歩いた距
離はなんと16000歩を超えていました。晴天の下、心地よいウオーキングでした。



正念寺に残された銃砲跡






  


Posted by ともちゃん at 07:33Comments(0)登山